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「赤ちゃんがはじめて話した言葉」ってつまり「はじめて大人が言葉として認識できたもの」なんだよなと思った

先日、「はじめて話す言葉は「だっこ!」なのかもしれない」と投稿しました。

taknotes.hatenablog.com

 

これについて考えていた時に、ふとタイトルの通り、

「赤ちゃんがはじめて話した言葉」ってつまり「はじめて大人が言葉として認識できたもの」なんだよなと思いました。

 

どういうこと?

突然のことなので「は?」となる方が多いと思います。

 

僕はどうしてこう思ったのか。

おそらく赤ちゃんはすでに自分の気持ちをどうにかして大人に伝えようとしているはず。

でも、それが人間の言葉として認識できる音を発せられていないがために、大人が言葉として意図を理解できていない状態なんだろうな、と思いました。

そんな状態から、大人の会話や話しかけられてる言葉を耳で聞いて覚えて、その言葉を自分の声でその通りの音で発することができてはじめて「赤ちゃんがはじめて言葉をしゃべった!」と大人が認識できるようになるんだろうな。

こう思ったわけです。

 

「赤ちゃんがはじめて言葉をしゃべった!」ってものすごく受け取り手の大人に判断が委ねられてるなと思いました。

 

そう思ったら、何をもって「赤ちゃんがはじめてしゃべった!」と言ったらいいんだろうか?自分の判断?複数人で言葉と思えるものが聞こえたら?

という疑問が出てきました。

 

いざ実際に喋るようになる頃には、今のこの疑問はそんなに気になるようなレベルのものではないのかもしれませんが。

 

なんなら今の時点ですでにときどき「だっこ!」と聞こえなくもないし、
抱っこしてあげると嬉しそうにしてるので、
もう「だっこ!」って言葉を話している!と言えてしまうかもしれません。

 

 

言葉の起源の頃ってどうやって意思疎通してたのだろうか?

そんなことを考え始めてたら、「言葉ってどうやって共通認識を持てるようになったのかな?」とかいうことも気になり始めました。

 

例えば、

木を見て「木」という音や意味について、共通の認識を持った瞬間ってどういう状況だったのだろうか?

誰かが「木」って指差して言って、それがそういうものだとして広まっていったのか?

その誰かって誰だろう?力を持ってた人?それともごく一般の人?

 

など、連想していろいろな疑問が湧いてきました。

こういう研究をしている人はいそうですね。

探せば論文とか出てくるのかも。

 

あくまで日本語での例えを書きましたが、世界は広いわけで。

となると当然、「木」を「木」という音で共通認識を持つのはあり得ないわけで。

ヨーロッパの方では「tree」とかそれの起源となる音で共通認識を持つようになったんですよね。

そうやって、各地域で言語ができあがって、今こうやって世界で何種類もの言葉が話されてるのだな、と納得していったん落ち着きました。

 

考えを掘っていくと疑問はまだまだ湧いてきそうです。

 

 

こんな感じで、赤ちゃんのはじめての言葉ってところから思考が広がったというお話でした。

 

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